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中島猪犬訓練所 所長 中島毅

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中島猪犬訓練所を一代で築き上げ、1978年の創立以来、数々の名犬を輩出してきた名猟師であり、名伯楽である。自己顕示欲に乏しく、自画自賛、売名行為を嫌うがゆえに、長きにわたってその人物像は謎につつまれていた。ところが当人が沈黙を守ろうとも、この地から旅立った猟犬たちの輝かしい活躍が伝聞となって、その名を全国に広めはじめた。

今、ここに紹介しよう。この人物こそ三重県が誇る生ける伝説、中島毅である。

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経歴

中島毅所長

1955年11月13日 三重県生まれ

幼少期より狩猟家の叔父と共に山に入り、猪猟の手ほどきを受ける。猪猟の楽しさに目覚めるや、少年の身でありながら、しかるべき猪犬を入手し、年間を通じて山野を駆け巡る日々を送る。 少年時代から中島所長にとっての対象獣はキジでもウサギでもなく、一貫して『イノシシ』であり、そして『』とはペットではなく、あくまで『猪犬』だった。

たとえ捕れずとも、愛犬が猪を起こし、止める姿を見ることに無上の楽しみを覚え、猟銃を所持できる年齢に達するまでの数年間を、猟野の地形と猪の生態を頭と体に叩き込むことに専念した。現在、高齢化が進む狩猟者の中では、まだまだ若年層ながら、全国の狩猟業界の大御所に一目置かれるほどの知識と能力を持ち得ているのは、心身共に柔軟な少年期に培った経験に因るところが大きい。

1975年 狩猟免許取得

晴れて猟銃を手にした瞬間には、すでに熟練の猟師同然に近隣の山々を熟知し、自在に駆け回る強靱な足腰が備わっていた。水を得た魚のごとく三重県全域の山々を単独で渡り歩き、少年期から鍛え上げてきた愛犬と共に、初年度から華々しい猟果をあげる。平行して全国各地の隠れた名犬、名系を発掘し、検証、保存、進化させていった。

1978年 『中島猪犬訓練所』を設立

狩猟免許取得からわずか3猟期目にして、近隣の猟師たちから『猪猟の申し子』と評判を呼ぶまでとなり、猪猟1本で生きていくことを決意。弱冠23歳にして『中島猪犬訓練所』を設立した。以降35年(2013年現在)、訓練所は拡大、進化し続け、さらなる優秀な猟犬の作出と育成に励む。また猟期中(11/15~2/15)は訓練所を完全休業して、若犬の実践訓練をかねて連日出猟している。
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人格

中島所長の特筆すべき点は、猟師、猟犬ブリーダー、猟犬トレーナーとしての手腕だけではない。20代の若さで開設して以来、30年以上も本業として続けてこれた要因には、皆から慕われる人柄も大きく関係している。

中島毅所長
中島猪犬訓練所には日々、個性の強い猟師が大勢訪れるが、相手が初心者だろうと、名人だろうと、そのスジの怖い人だろうと、対応する態度にまったく差をつけない。見下すこともなければ、媚びへつらうことも、萎縮することもない。 初心者がどんな愚問を投げかけても、面倒な顔一つせず懇切丁寧に教えてくれる。温厚、誠実、謙虚(※)、冷静、そして長年の猪猟で鍛えられた人並みはずれた胆力の持ち主でもある。

えらぶらず、労を惜しまず、損得抜きで誠意を尽くせば自然に人が集り、自分に利が返る。それを言葉での説教ではなく態度で示し続けてきた。こうして中島所長のまわりには優秀な猟師から、私を含めためんどくさい猟師まで、ありとあらゆる人で賑わっている。猟師として、人として、私が尊敬してやまない人物である。

余談になるが、著書『ニホンオオカミを追う』で著名なニホンオオカミ研究家、故・世古孜氏も中島所長の知識、人格に心酔し、教示を受けた人物の1人である。

『謙虚』という点についてだけは、先日、中島夫人とお話させていただいた折に、
 「ハア?あの人ちぃ~~っとも謙虚じゃないよっ!」と、全力で否定された。
  私の知らない一面、買いかぶり過ぎなところもあるのかも知れない。
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